身体

 

身体は一人に一つの肉体があり「ひとつのもの」でしょうか。

 

たとえば分類すると

皮膚、筋肉、脂肪、内臓、骨、血液、リンパ液、血管、毛、歯 etc

もっともっと細かく分類できます。

 

それを細かくしていくと

約37兆の細胞からできていると言われています。

その37兆の細胞の集合体が身体です。

細胞ひとつひとつはひとつの生命であり、意志があると、僕は思っています。

(細胞の中にも構成要素はありますが、細胞までとします)

 

例えば、肝臓を構成する細胞はみんなで肝臓を構成し、身体全体の中で肝臓の役割を果たそうとしているように見えるのです。

 

そうして、各部位の細胞があつまって大きな組織や内臓をつくり、それぞれに役割を自覚し互いに連携をとって、それらが集まった結果

「ひとつの身体」を形作っている。

ひとつの身体にはひとつの命があるわけではなく、「『意思ある』60兆の命」でできている。

そして、からだ全体を維持しようとそれぞれがバランスを取り合っていると。

 

大事なことは

「からだ全体を維持しつづける為に」

からだは動いているということ

 

こう捉えています

 

病気・症状変に続く

 

病気・症状

そんな体に出てくる

いわゆる「病気」や「症状」と呼ばれるものは

いったいなんなのだろう。

これらは悪いこと、不都合なこと、不要なことなのでしょうか。

 

そんな懸命な身体の発する声に

「悪いこと」「不都合」が、本当にあるのでしょうか。

 

ぼくは、これら「病気」や「症状(痛みなど)」は

単なる結果であり、かつその人にとってのベストな状態だと思います。

 

今の状態「痛み(症状)」は

各細胞が頑張って維持できなかった結果として出ているものであって、悪いことではない。

「意志を持って」身体が発するサインだと

聞いたことがあると思います。

 

ただ、そのサイン(からだの主張)にも段階があると思います。

サインを無視していると、身体を保つことができず、ますます大きなサインがわかりやすい状態として現れてくる。

場合によっては、それが「病」とよばれるもののこともある。

それを放っておくと、身体の維持ができず、身体的な死が訪れる。

 

段階

 

①小さな違和感・サイン

②気がついて、対処

③違和感やサインが消える

 

①小さな違和感・サイン

②気がつかないor気がついても対処しない

③より大きめのサイン

④気がつかないor気がついても対処しない

③と④の繰り返し・・・

⑤もっともっと大きなサイン!

気がつかずにはいられない、無視できないほどの痛みや症状、病名がつく状態。

 

(気がついてくれないから、気がつかせようと声を大きく上げて主張してくれる。

からだは、とっても健気でありがたいことをしてくれているのだと思います。

本当に意志を持っているとしか、僕には思えないのです)

 

どの時点で、主張に気がついて、目を向けるか。対応するか。

そういうことだと思います。

 

忘れたくないことは、

細胞ひとつひとつはからだを維持しようとベストを尽くしている結果が

今の状態を現している。ということです。

 

痛みや病気を敵だと、ただなくしたい嫌なものだとは考えずに

気がついて向き合うことを大切にしたいと思っています。

 

健康も病気も同じ軸の上で、身体が表現していること。

健康を本当に感じたいなら、健康でない状態もしっかりと、感じてありがたがったほうがいい。

 

不健康だと感じて嫌がる、好ましくないとするなら、同時に健康も本当に良いものとありがたいものだとは感じられないと思います。

 

不健康さを感じるから、それがなくなった時に幸せを感じる。

 

不健康さが、強いほどなくなったときの幸せが大きい。

 

不健康さは、ありがたいギフトのはず。

 

不健康でない状態もそのまま受け取って、悪いもの嫌いなものと解釈せず、良いものと解釈することも本当はいらないと思うけど、そのままありがとうと受け取りましょう。

 

施術

「病気・症状」のところにも書きましたが、

 

身体の主張は、たとえ小さな痛みなど症状でも

それが出る前に、細かな「サイン・主張」は身体から出ているのだと思います。

普段、ぼくらは人に話す時小さな声では聞こえなくなると、大きな声で呼びかけます。

身体の訴えも同じ。

大きな訴えも、最初は小さな声だったはず。小さな声に耳を澄ますには、静かな心と環境で、向かい合うことが大切です。

 

僕の施術では

「ご本人が自覚しているからだの声(サイン)」よりも前にある

「より小さな声(サイン)」

を感じる、それに耳をかたむけることを主にしています

 

僕の施術を受けた方が

「ただふれられているだけみたい」

「撫でているだけ」

「触れているかも分からない」と表現されることがあるのですが

身体の小さな声に耳を傾けるには必要なことなのです。

 

そして、からだの発する小さい声(主張)に気がつくと、大きな声(主張)を出さずに済む。

つまり、

結果として、感じていた身体の主張(痛みなど)が変化した状態になるのだと思います。

 

そのため必ずしも、主訴が全てすぐになくなるかどうかは、わかりません。

今の僕にはその理由が2つあると思います。

一つは、その方の持っている力次第。

いくら、身体の声に気がついても、これまでに抱えてきた蓄積に対して体力が小さい場合は、時間がかかります。

イメージとしては自然治癒力と近い力です。

もう一つは、もっと他の要因がある場合。

小さいと思っていた声よりも、もっと小さな声があったり、感情や思考などが絡んでいる場合です。

また声が大きくなり過ぎている場合もそうです

 

その場合は回数や時間がかかることになります。

 

また、仮に身体の声に気がついて主訴が消えた後はその状態を維持するには普段の生活が大切です。

例えば、お酒の飲みすぎで肝臓が悲鳴を上げている場合。肝臓が大丈夫になったあと、またお酒を以前のように飲んでいたら元に戻り症状がでるのは当たり前です。

声に気がつけたなら、無視せず、その声を自分で聞いて生活に取り入れていくことが大切です。

厳しく聞こえるかもしれませんが、その状態(痛みがない、痛む、病気を感じる、感じない)は、その方自身が自分で選んでいることだと思います。